2006年08月17日

先駆者というのは

 市内をタクシーで走っている時、同乗していた川崎鋭治が、伸一に尋ねた。

 「私は、ヨーロッパの連絡責任者に任命されましたが、これから、何を、どのように進めていけばよいのでしょうか」

 川崎は、強い決意に燃えてはいたが、実際に何をすればよいのかがわからず、この二、三日、考え悩んでいたのである。

 伸一は、しばらく黙っていた。彼は、川崎の気持ちがよくわかっていたし、また、いくらでも、アドバイスすることはできた。しかし、具体的なことには触れずに、こう語った。

 「川崎さん。先駆者というのは辛いものだよ。すべて自分で考え、次々と手を打っていかなくてはならない。誰も頼りにすることはできない。しかし、だからこそやりがいもあるし、功徳も大きい……」

 川崎が今後、名実ともにヨーロッパの中心者になっていくためには、彼が自ら未来の構想を描き、それに向かって、自分のなすべきことを考え、行動していくことが必要であると、伸一は思ったのである。

 つまり、伸一は、リーダーとしての川崎の自発性、主体性を育みたかった。

 広宣流布は、友の幸福と平和の実現を、わが使命として自覚した人が、情熱と英知で織り成す、人間の賛歌の絵巻である。

 自分を深め、磨き、信心の在り方を学ぶうえでは、謙虚に指導を求め、求道の心を燃やしていくことは当然である。また、活動を進めるうえで、協議や意見の調整が重要であることはいうまでもない。しかし、広宣流布の活動の根本をなすものは、どこまでも個人の内発的な自覚である。具体的な方法は、その責任感から発する知恵をもって考え、対応していくべきであるというのが、伸一の信念であった。

 川崎は釈然としない顔をしていた。それを見て取ると、伸一は言った。

 「ともかく御本尊に真剣に祈り、今いる同志を激励しながら、何をすべきかは考えていけばよい。そう堅苦しく考えることはないよ。これからは、日本のメンバーも、どんどん世界に出ていくだろうから、ヨーロッパも、すぐに五十世帯や六十世帯にはなるだろう」

 その言葉を聞いても、川崎には実感はわいてこなかった。

 川崎が会ったヨーロッパのメンバーは、まだ、三人にすぎない。それがすぐに五十世帯以上になるとは、とうてい思えなかったのである。

 ただ、自分が考えている以上に、広宣流布の伸展は早いのかもしれないと思った。また、そうするためにも、自分が立ち上がらなければならないと感じた。



新・人間革命 第5巻「歓喜」の章 p.92-94

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みんなのために懸命に頑張る姿ほど

 質問に答えながら、伸一は、空港に出迎えてくれたメンバーのなかで、まだホテルに到着していない友がいることが、気になって仕方なかった。

 「まだ、来ない人がいるけど、どうしたんだろう」

 彼は話しながら、何度か、こう繰り返した。

 質問が出尽くしたころ、バタンと大きな音がして、部屋のドアが開いた。皆が一斉に振り向いた。そこには、裸足で、片手にハイヒールを持ち、もう一方の手に重そうな大型のテープレコーダーを持った、やや大柄な日系婦人が立っていた。彼女は、テープレコーダーを床に置くと、喘ぐように肩で大きく息をした。顔中に汗が噴き出していた。

 「どうしたんですか」

 伸一が尋ねると、婦人は、荒く息をしながら答えた。

 「すいません。空港からここに来る途中、皆さんの車を見失い、道に迷ってしまったもので……」

 「そうですか。ご苦労でしたね。心配していたんですよ」

 伸一は、婦人に笑顔を向けた。

 彼女の名前は、タエコ・グッドマンといった。前日、モンタナ州を車で出発して、雪のロッキー山脈を越え、早朝、ようやく空港に着いて一行を出迎えたのである。

 しかし、ホテルに向かう途中、一行の車を見失ってしまった。シアトルの地理がわからない彼女は、ホテルを探すのに、かなり時間を費やしてしまったのだ。苦心の末に、やっとホテルを見つけたが、ホテルから、かなり離れた駐車場に車を止めてしまった。そこから大型のテープレコーダーを持って歩いた。このテープレコーダーは、モンタナで自分が信心をさせた人たちに、山本会長の指導を聞かせたくて購入したばかりのものだった。

 大型のテープレコーダーは、女性の手には途方もなく重たかった。数メートルも歩くと腕が痛くなった。しかも、履いていたのは買ってばかりのハイヒールであった。これが足に合わず、歩くとすぐに靴擦れができた。テープレコーダーの重さと靴擦れの痛みに音をあげ、彼女は何度も立ち止まった。

 時は刻々と過ぎていく。山本会長は、既にどこかに出発してしまったのではないか――そう思うと気ばかりが急くが、歩みは遅々として進まなかった。そのうちに涙が込み上げてきた。ホテルのロビーに着いた時にはハイヒールを脱いで裸足になっていた。靴擦れのできた足で、重い機械を運んで歩く苦痛は、恥も外聞も忘れるほど大きかったのである。

 伸一は、婦人の持ってきたテープレコーダーを見て言った。

 「ありがとう。嬉しいね。同志のことを考えてくれて。みんなのために懸命に頑張る姿ほど、尊いものはありません」

 その言葉は、タエコ・グッドマンの胸を射た。彼女はハッとして、伸一の顔を見た。

 「先生……」

 何か言いかけたが、言葉にならなかった。しかし、彼女は、自分の心にわだかまっていた悶々とした思いが、霧が消えるように、にわかに晴れていくのを感じた。

 タエコ・グッドマンが入会に踏み切った動機は、三年前に日本で母親がガンにかかり、医師から「六カ月の命」と宣告されたことであった。その苦悩のなかで、仏法の話を聞き、紹介者の指導通りに一心に信心に励んだ。そして、二カ月たって再検査を受けると、母親のガンの症状はすっかり消えていたのである。

 その後、彼女は、職場で知り合ったアメリカ人と結婚し、渡米する。しかし、見知らぬ土地での生活は、日々、郷愁をつのらせた。彼女は、日本に帰れることを願って、真剣に信心に励んだ。入会するメンバーは二人、三人と増え、遂に十人を超えた。すると、彼女の心は揺らぎ始めたのである。

 “もし、自分が帰国してしまったら、後に残されたメンバーの面倒は、いったい誰がみるのだろうか……”

 日本に帰りたい一心で信心に励み、弘教に力を注いだことが、かえって、帰国をためらわせる結果となったのである。彼女の心は激しく揺れ動いた。それは、使命の目覚めといってよかった。

 そんなさなかに、山本会長一行の訪米を知り、彼女はぜひ会長に会いたいと、一晩がかりで車を走らせて来たのだ。彼女は、「みんなのために懸命に頑張る姿ほど、尊いものはありません」という伸一の言葉を耳にした瞬間、感激とともに決意が込み上げた。

 “私は、このアメリカの地で頑張ろう。私を信頼して、信心を始めた同志のために……”

 人間性の光彩とは、利他の行動の輝きにある。人間は、友のため、人びとのために生きようとすることによって、初めて人間たりうるといっても過言ではない。そして、そこに、小さなエゴの殻を破り、自身の境涯を大きく広げ、磨き高めてゆく道がある。

 伸一は、モンタナの地から、法を求めてやって来た婦人の、一途な求道の姿が嬉しかった。広いアメリカのここかしこに、広布の使命に生きる地涌の友が、涌出しつつあることを感じた。まさに、世界広布の時は来ていたのである。



(『新・人間革命』第1巻 錦秋の章、p.146-150)

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世界広布へ続け

 須田 釈尊が悟りを開いたとされるブッダガヤには、私も訪れました。経文に「伽耶城を去ること遠からず」とありますが、現在のガヤー市街(インド東部のビハール州)から南方へ十キロメートルほどの所です。

 ガヤーの町の近郊で釈尊が成道したことから、後に、ここはブッダ(仏陀)のガヤー、ブッダガヤと呼ばれるようになりました。

 遠藤 菩提樹という木の名前も、釈尊の成道にちなんでつけられたものです。

(中略)

 名誉会長 私も行きました。会長になってすぐ、この「仏教発祥の地」に行った<就任の翌年の昭和36年=1961年>。そして、大聖人の仏法の「仏法西還」を誓いつつ、「三大秘宝抄」の写本や記念の石碑を埋納しました。

 斉藤 今、その誓い通り、インドはもちろん、アジアへ、世界へ、「太陽の仏法」は広まりました。釈尊の仏法がアジアに広まるのに、何百年、千年とかかっていることを考えると、後世の歴史家は“奇跡”と驚くでしょう。

 名誉会長 諸君も続いてほしい。続くべきです。ともあれ釈尊は、「人類を救う闘争」を、この地から開始した。ブッダガヤで悟りを開いた釈尊の精神闘争とは、どんなものだったのだろうか。(以下略)



(『法華経の智慧』第四巻 p.116-117)



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諸君も続いてほしい。続くべきです。

との先生の魂の叫びが、胸に迫ってきます。日常のいろんなことに流されそうになると、このご指導を、いつも思い出します。

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